昭和48年03月20日 朝の御理解
御理解 第82節
「大蔵省は人間の口をみたようなもので、その口に税金が納まらぬ時は、四分板張った戸一枚で寝てはおられぬ。どこの太郎やら次郎やらわからぬようになろうぞ。」
何処の次郎やら太郎やら分からんと、私は本当にこの名をなして行く人、いわゆる成功をいよいよ納めていく人達は根本的に考え方が違うと思うですね。いわゆるおかげの頂けれる考え方をしている。おかげの受けられない人は、いわゆるおかげの受けられない様な考え方しかしておりません。例えば同じ税金を納めるでも、日本一の納税者、何処の何々、何処の財閥といわれる様なね、そういうおかげを頂いてみたい。何処の太郎何処の次郎と言う事は、もう誰でも知っている。知れ渡る程しのおかげを頂きたい。
すると例えば、千円の税金を納めるよりも、どうぞ二千円の税金が、納められるようなおかげが頂きたい。そしてそういう夢に近づいて行く事を、生き甲斐にしたい。そういう私は考え方が、おかげを受ける心だと思うです。どげんして税金をごまかそうか、どんなにして税金を安くするかと言う事はいいです。それは例えば、わざわざそれだけがたの働きも収入もないのに税金を納めにゃならんと言う事は、これはおかしいです。それでは立ち行きません。
ですけれどもね、どんな風にごまけえちから、ひとつちっとでん安うしようかと言った様な考え方、それは成程そういうところも通りますけれども、そういう考え方では、しかし大を為すことは出来ん。 昨年が百万の税金納めたなら、今年は百五十万の税金が納められるようなおかげを頂きたい。何処の次郎やら太郎やらでなくて、あちらはもう町で一番の納税者と言われる位なおかげを頂きたい。
これはまあ税金にたいしてかかわり合いもないし、けれどもこの頃から若先生が、久富繁雄さんとお初穂の経理の方を、おかげ頂いております。私の方の妹と三人でやってる訳です。もうそれこそ、ガラス張りにした様な経理ですから、私共が頂いておる給料だけではどうやら、その月その月がやって行けるというだけ、ですからこれは妹やら弟やらが嫁入ったり、嫁御貰うたりする時には困るけん、月々十万づつ位別に預けとったらどうでしょうかというのです。
そうすることは、そんならここの売上というですか、水揚げというですか、ここのお初穂の上がりというものを、十万円なら十万円減らさなきゃならない。帳面上だからそういう事はね、勝彦さん、合楽教会の御比礼を落とすことになるよと。例えば月々三百万なら三百万のお初穂があっておるというのが、十万引いたら二百九十万の力しか無いことになる。これはずっと役所にでも教務所にでも本部にでも通じて行く。だからそこはどんなにでも出来る、すると思や。
けれどもそれは、教会の御比礼にかかわる事だから、というて三百万のつを、四百万上がるごとすることも何もいらん。当り前の事を、そん時はそん時で、お繰合わせを頂きゃええぞと申したことでした。この新館が出来ましてか、ら電気代が大体毎月十万近くあります。燃料代が約十万、だから月々二十万燃料代やら電気代やら、私は本当に有り難いと思うです。例えば二十万も燃料代とか電気代を払えるように、おかげを頂いておると言う事は素晴らしい。
だからというて、いらんところにでん、どこでんどんどん使えと言う事じゃない。それはもうそれこそ、不必要なところには消して回る位な、そんならガソリンでもそうです。もっと安く買えるところが有るなら、安く買わせて頂いて、それだけやはり沢山の金がかからないようにしなければならない事は勿論です。だから如何にして安くするかと言う事はいいです。けれどもその税金の場合ごまかしてからでもと言う事はいらんのです。そんなら電気代でもそうです。
もう必要な時でも、こましい電気つけてから眼の悪うなるような事ではでけんです。夕べももう十二時位でしたでしょうか。私は必ず夜中に出てきて御祈念させて貰う。そしたらやっぱあっちこっち電気が消し忘れ所があれば消して回る。地下室の方見たら明々としとる。そらもう、満開燭のごと、地下室はみんなつけとる。だからあれはやっぱり〇少の人達が色々な御用をまだしよった。
けれども、こげん明か必要はいくら何でもいるまいから、これがスイッチでみんなついてしまうのじゃなくて、半分つくとか、一つづつつくごたる風な事にして貰わにゃいけんなと私は夕べ思うたことでした。だからそういう工夫は要るです。ですからね、例えば本当に燃料代が十万も、電気代が十万も払えると言う事は有難いおかげを頂いておる事ですから、いやもっともっと、だから沢山のそんなら燃料代でも電気代でも払えるようなおかげを頂くことは、これは楽しいことである。
私は今日はね、税金のどうこうじゃなくて、そういう例えばです、来年がいうなら百万の税金が納められたから、今年はまあ少し位ましな税金を納めさせて頂く位な、おかげを頂かんならん。税金がひとつのその、バロメーターになる事ですから、そのバロメーターが税金を見りゃ、自分方の繁盛のこれが分かるという程しにです、おかげを頂いていかにゃいかんです。
今日私が言うのはね、そういう心がけにならなければ大きなおかげは受けられんと言う事です。神様任せでおかげを頂きよって三百万から赤字になったという人があった。けれども神様任せになって赤字になるのですから、昨日お参りして見えてから、とても三百万五百万ではない、思いがけないおかげが頂けようとしておる働きがそこの家に始まっとる。ですからね、ソロバンの上だけに表れて来るだけじゃないのです。神様がおかげ下さると言う事は、思いもかけないところからおかげを下るです。
それがです、心の状態がです、私が申しますように出来るだけごまかしてから、少し払おうと言った様な心がけの上には、そういう働きがないです。だから税金を納めると言う事。正直にして沢山出さにゃんと言う事は馬鹿らしいです。けれどもね、その馬鹿らしい位の事ではない。おかげがね、もうそれこそ、何処から吸収しなさるか分からん程しのおかげになって来るです。そのおかげが大きいんです。私は今日はおかげを頂かせて頂く人の心がけを今日は聞いて頂いた訳ですね。
私は今朝からお夢にある人が真っ暗い中を自転車で行きよる。もう真っ暗ですから道も分からんごたる。けれども自転車の前に電気がついてるけれども、それがもう線香の火の様に小さい。もう電池が切れかかってる訳です。それで、こちらから来ておる、見て居る者はああ向こうから自転車が来よるなと言う事が分かるから、危なくないですけれども、自転車に乗っておる者はです、もう道も分からんのですから、向こうに誰が来よるやら分からんのですから、そんなに小さいです。
だから人はね、こまい電気でもあちらから自転車が来よると言う事が分かる。けれども自転車に乗っておる者は危うして堪えん様な感じの所を頂いた。成程人はそれで危険はないかも知れません。けれども自分自身が危険、先ずわが身におかげを受けてと言う事。先ず自分自身のね、いわば自転車の光が大きくなってハッキリ道を照らす程しのおかげにならなければ、相手を本当の意味に於て助けると言う事は出来ない。多くの金光様の御信者の中では、こういうのが多いのではなかろうか。自分も助かってない。
けれども信心しとるから人は危険な思いをさせんで済むと、自分自身が先ず助からにゃきゃならない。それからもう一つお夢に、これはどう言う事だっただろうかと思うのですけれども、自動車が堤の中に落ち込んどる。そして女の人が二人もう自動車から這出したばってん、もうしまえとるという感じ、もう浮いとる。そういう時に例えば、私は横を通りながらですねえ、さあそんならもう助けようという意欲が全然ない訳です。けれどもそれがどうでしょうか。
まだアップアップいうちから、こうこうバタぐらいよるなら、いくら例えば薄情であっても、横を通っておるのですから、綱を投げてやるとか、そう言う事が出来るだろうとこう思います。ほんに綱を投げてやるといいや、昨日お届けがあったんですけれども、渕上君と云うて、丸少の今度大学に通りました。そのお祝いの様な気持ちで友達連れて中州に飲みに行った。そしてそのあんまり飲みすぎてから、もう道やら川やら分からんごとなってから川の中へ飛び込んだ。
それが深いげなもんじゃから、片一方の友達の方も酔うとるもんじゃから上げきらん。それでもうアップアップ言いよる。それから大声あげてから近所のバーやらカフェあたりの女給さん達がもう沢山出て来たそうです。そして綱を投げてからヨイショヨイショで引き上げた。そしたらもうワンワン泣くげな。もう助かったと言うて、と言う様なお届けがあったんです。下宿に帰って下宿でも声上げて泣きよるげなけん、どうしたかと言うたところが、本当は今日はもうしまえるところじゃった。
おかげで助かったと言うてワンワン、ワンワン泣きよったと、女給さんなんかが綱引いてからヨイショ、ヨイショで引き上げたと云うのですから。ですから、そのアップアップ言いよればです、誰かが声を上げたり、それこそワッショワッショで出て来てから助けることが出来るんです。けれども、もうしまえておれば、もうどうこうしようという気持ちすら起こらなかったのです。私の心にだから信心させて頂いてですね、アップアップしよるという程、神様の手が差し述べられると言う事になるのです。
だから心が生き生きとしとかにゃいかん。本当にアップアップ言いよるなら、本当にもうこうやってばたぐらう位な信心が出来にゃでけん。今日そんなお夢からそんな事を感じた。その自転車のそれもそうです。信心という小さい小さい電気をつけて、自分は助かっていない、けれども他人は危なくない。あぁあっちから自転車が来よるなと言う事は分かる。けれども乗っとる自分自身は危ない、道もハッキリ分からんから。
だから私は税金をごまかさんならんというなら、そういう時代じゃなかろうかとこう思う。だからそういうときもあっていい。けれどもその光が大きくなってきて本当なことが分かって来るようになるとです、昨年百万じゃったなら今度は百五十万、来年は払わせて頂けるくらいなおかげを頂きたい。そしてその名をなしたい。何処の次郎やら太郎やら分からんじゃない。あそこはもう日本でも第一第二と言われる位な多額納税者になれるという名が出るでしょうが。
ごまかしよったっちゃ、何処の次郎やら太郎やら分からんで一生を終ってしまう。と、いうよりもです、本当にいくらいくら迄は税金を納めた時代があったという位に電気代を何十万も払うごたる時代が合楽にも有ったと言う様なです、私はそれを願いとするです。これはこげん有るなら電気はもう消してしもうてから、暖房でん早う切ってしまわにゃでけんと、言う様なことはなか。要るだけは使わせて貰う。
いわゆる本当に、おかげの頂ける心なんです。もう限りなく、おかげを受けて行けれる心です。教祖様が上納なさる時、例えば十俵納めればよいのに、今年はようできたからというて、それに一俵でも二俵でも添えて出されたと言う事です。そういう心がけの中にです、文さん米と言われる程しの、お米が出来たと言う事です。もうこれから先は、不思議の世界です。
昨日私がお取次させて頂いた三百万からの赤字になった。神様任せで商売させて頂きよって、こう言う事になったと言う様なお届けがこの頃からあっておった。ところが、三百万五百万じゃない程しのです、おかげがいわばもう殆ど確定的なところ迄おかげ頂いて、神様のおかげちゅうもんな、何処からどげん風にして下さるやら分からんねと言う様なおかげになってくるです。いわゆる文さん米、兎に角教祖様のお作りになるお米は粒が大きかったと言われておる。
そんなら例えば十俵納めにゃんとは、こぎってから九俵納めなさったと言った様な、けちな考えじゃなかった。もう限りない美しいお方であった。だいたい十俵でよいけれどもです、余分に出来たんだから、それではお上に対して相済まんというて、一俵余分に納めると云う様な生き方なんです。教祖金光大神の生き方というのは。如何にして誤魔化すかというそこんところだけお取次頂いて。どうぞごまかせます様に、税金が安うなります様にと言った様な願いではなくて。
本当にそれがね、正当のものであるならば正当な、いわば払いがです、本当に楽々と出来るようなおかげを頂くと言う事を、願いとするような信心にならにゃいかん。しかもそんなら、今年よりも来年は、もっと多く納められるようなおかげが頂きたい。それこそ世の中に名をなしたい。あっちはもううちの町では一番最高の、税金納めなさる家と言う事になる時に、何処の次郎、何処の太郎というならば、番付の乗る程しのおかげになってくる訳ですよね。
どうぞ。